大判例

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東京高等裁判所 平成7年(ネ)5529号 判決

控訴人

石井日出子

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

森谷和馬

被控訴人

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

渋江克彦

被控訴人

医療法人財団海上ビル診療所

右代表者理事長

石山豊應

被控訴人

小山幸男

外二名

右五名訴訟代理人弁護士

田中登

高崎尚志

柏木秀夫

野邊寛太郎

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人小山幸男及び同東京海上火災保険株式会社は、連帯して控訴人ら各自に対し、金四六〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人桐野有爾、同林田康明、同医療法人財団海上ビル診療所及び同東京海上火災保険株式会社は、連帯して控訴人ら各自に対し、金二八七万円及びこれに対する昭和六二年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。との判決並びに2、3項につき仮執行宣言

二  被控訴人ら

主文と同旨の判決

第二  事案の概要

本件の事案の概要は、以下のとおり当審における当事者双方の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する(略語についても、以下に注記するほかは、原判決と同様とする。)。

一  当審における控訴人らの主張

1  被控訴人小山及びもう一人の読影医の責任について

(一) 原判決は、まゆみの昭和六〇年九月のレントゲン写真には異常陰影は認められないとし、昭和六一年九月のレントゲン写真には、異常陰影が存在することを肯定しながら、原審における鑑定の結果(以下「林鑑定」という。)をそのまま引用して、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いとして、被控訴人小山の過失は認められない旨を判示する。

しかしながら、原判決の右認定判断が誤りであることは、以下に詳述するとおり、当審における証拠調べの結果により一層明らかになったものである。

(二) 定期健康診断の位置づけとその体制について

定期健康診断は、病気の早期発見を目的とするものである。なお、まゆみが罹患していた肺癌は末梢型で、腺癌と呼ばれる種類の肺癌であり、胸部レントゲン写真によって早期発見が期待されるタイプに属するものである。

これとは別に、老人保健法に基づく肺癌検診があるが、肺癌検診の対象者が喫煙者などのハイリスクグループであることが異なるだけであり、それ以外の者については、胸部レントゲン写真一枚を撮り、これを次々と読影していく点は異ならない。したがって、肺癌検診と対比して、定期健康診断では簡便なレントゲン検査しかされないと考えるのは誤解である。

さらに、本件において、昭和六一年までのレントゲン検査は間接撮影で行われ、昭和六二年は直接撮影で行われたが、間接撮影と直接撮影は異常を異常として検出する能力については異なるところはない。その上、昭和六一年のレントゲン写真の読影は被控訴人小山ともう一人の読影医による二重読影が行われており、異常陰影を指摘することは一人で読影するよりも容易であった。また、当時各年に撮影したレントゲンフィルムが一枚ずつ切り離され各人毎のファイルに保管されていたから、これを比較読影に供することは容易であり、一般の肺癌検診等ではロールフィルムとして撮影、保管されており、各人毎に仕訳されているわけではないことと対比して、むしろ異常の発見が容易であり、それを期待できる体制にあったものである。

なお、原判決は、定期健康診断において医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界がある旨を判示するが、このような考え方は、以上の点からしても、また社会常識とも乖離するものであり、失当である。

(三) 定期健康診断担当医の医療水準について

定期健康診断におけるレントゲン写真の読影医の注意義務の水準としては、原判決のように一般的な臨床医ではなく、レントゲン写真読影専門医を基準とすべきである。たまたま個別の患者のレントゲン写真を読影するような場合は格別、定期健康診断として大量に撮影された胸部レントゲン写真の全体に目を通し、各写真について異常の有無を判定する専門的な業務に従事するからには、当該医師は、胸部レントゲン写真読影の専門家であるべきである。したがって、原判決が、一般臨床医という過失判断の基準を採用したのは失当である。

特に、本件においては、被控訴人小山は長らく労働医学研究会に在籍する傍ら、昭和三二年から平成三年までの間、被控訴人東京海上の嘱託医を務め、主として胸部レントゲン写真の読影に従事していたものであるから、胸部レントゲン写真読影の専門家として、一般臨床医とは異なる高度の注意義務を課せられていたというべきである。また、被控訴人小山とともに読影に当たったもう一人の医師も、日本肺癌学会の評議員を務めた呼吸器特に肺癌の専門家であるから、胸部レントゲン写真の読影について一般臨床医とは異なり、十分な知識経験を有していたと考えられ、やはり、高度の注意義務を課せられていたというべきである。その上、被控訴人東京海上はこのような専門家を擁していることを社員に積極的に宣伝していたものであるから、一旦当該医師に過失があった場合に、専門家ではなく一般臨床医の水準で判断すべきだというのは許されない。

(四) 昭和六〇年九月のレントゲン写真について

原判決は、右レントゲン写真には異常陰影は認められないと判示するが、中川伸生医師及び森雅樹医師の各意見(甲第五七号証、第五九号証)では、要精査とすべき正常ではない陰影の存在が指摘されているのであって、原判決は、これらの証拠を無視するものである。

(五) 昭和六一年九月のレントゲン写真(以下、この項においては「本件レントゲン写真」という。)について

原判決は、本件レントゲン写真に異常陰影が存在することは肯定しながら、間接フィルム読影に熟練したものでも異常なしとする可能性があり、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関する何らの予備知識もなく読影された場合、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いと判示する。

しかしながら、原判決が依拠した林鑑定には後記(六)のとおりの疑問点があり、その結論の妥当性は疑わしい。かえって、読影の専門家であれば、本件レントゲン写真につき十分に異常の指摘が可能であったことは、以下の各医師の意見等から明らかである。

すなわち、森雅樹医師(札幌厚生病院呼吸器科主任医長、以下「森医師」という。)は、当審証言及びその作成の意見書(甲第五九号証、第七三号証、第一二〇号証)において、異常影の位置、大きさから、異常陰影であることは明らかであり、一人で読影した場合一割か二割、経験の浅い医師で二割位の見落としはあるかもしれないが、二人の医師で読影した場合にはかなり見落としの確率は少なくなるだろうと述べている。

また、中川伸生医師(アメリカ、ルイジアナ州立大学医療センター放射線部門助教授、以下「中川医師」という。)は、専門の医師であれば見落とすはずのない明らかな異常所見である旨の意見(甲第五七号証)であり、中島康雄医師(聖マリアンナ医科大学放射線医学教室助教授・同大学横浜市西部病院画像診断部副部長、以下「中島医師」という。)も、胸部X線診断に携わっている医師であれば高い確率で病変を指摘することが可能であるとの意見(甲第六二号証)である。

次に、横山正義医師(東京女子医大呼吸器外科教授、以下「横山医師」という。)は、「この一枚のみで要注意、精査、前年と比較すれば進行あり」、「このフィルムの異常を指摘できなければ専門医とはいえない」との意見(甲第八七号証、第八八号証の一、二)を述べているし、森山紀之医師(国立がんセンター東病院放射線部部長、以下「森山医師」という。)も、見落としの可能性について、一〇回のうち一回落ちないかもしれない旨の意見(甲第九〇号証)を述べている。

さらに、一般内科医である平野敏夫医師でさえも、明らかに異常な腫瘤影であり、肺癌を疑って直接撮影、CTスキャンなどの精密検査を行うべきであるとの意見(甲第九一号証)を述べている。

(六) 林鑑定書の問題点について

まず、林鑑定を行った林泉医師(以下「林医師」という。)は、癌研究会附属病院に所属する医師であるが、林鑑定の当時、被控訴人東京海上の会長は癌研究会の評議員となっており、被控訴人東京海上が癌研究会に大きな発言力を有していたことは、考慮されるべきである。また、林鑑定の底を流れるものは医者の仲間内に対する擁護であるとの指摘もある(甲第八七号証)。

林鑑定は、本件レントゲン写真について、間接フィルム読影に熟練したものでも異常なしとする可能性があり、当時の一般臨床医の医療水準を前提とすれば、異常を発見できない可能性の方が高いと結論づけているが、その根拠は薄弱である。

まず、臓器の背景については、林鑑定の挙げる根拠のうち、呼気不足の場合や、肺動脈・気管支などの弛み及び中肺葉の含気不足がある場合は本件に当てはまらない上、森医師の意見によれば、臓器の背景が異常陰影の発見を困難とする理由とはなりえないとされている。

また、林鑑定は、間接撮影フィルムの精度を問題としているが、本件に使用された一〇〇ミリフィルムであれば、直接撮影フィルムと同程度の解像力があるとされている点を看過するものである。

さらに、林鑑定は、集団検診における間接フィルムによる肺癌診断の精度と特定の問題を取り上げ、資料2の論文「大阪における肺癌検診の感度と特異度」をもって、異常陰影の指摘が困難であることの理由の一つとしているが、右論文によっても、まゆみのような腺癌についての有病正診率は86.4パーセントと極めて高いのであって、異常の指摘が困難とする根拠とはならない。

そもそも、林鑑定は、本件レントゲン写真について、間接フィルム読影に熟練したものでも異常なしとする可能性があるとするが、その確率がどの程度であるかについては触れておらず、一般臨床医であれば、異常の指摘が困難であるというにすぎない。その上、林医師も、本件レントゲン写真を読影した被控訴人小山ともう一人の医師が間接フィルム読影に熟練した専門家であるとしているから、この専門家二名による二重読影がされた本件において、異常の指摘が困難であったとの結論が妥当しないことは明白である。

(七) 徳田医師の意見について

徳田均医師(以下「徳田医師」という。)の当審証言及びその作成の意見書(乙第六〇号証)は被控訴人らの主張に沿う内容となっているが、徳田医師のこれらの意見に信用性がないことは以下のとおりである。

まず、徳田医師は、社会保険中央総合病院に勤務する傍ら、数年前から被控訴人海上ビル診療所で月二回、胸部レントゲン写真の二重読影を行っており、被控訴人らと密接な利害関係を有する医師であって、公正・中立な第三者とはいい難い。

徳田医師は、集団検診について、肺癌等の発生率という疫学的知識も念頭において精密検査に回すかどうかを判断すべきであり、本件では三〇歳前後の若い女性であることは容易に想定され、この年代の肺癌の存在頻度は一〇万人に三人以下であるから、要精検とした場合に空振りに終わる可能性の方がはるかに高いことを考慮するべきであるとする。しかしながら、このような考え方は癌の見落としを容認することにつながり、病気の早期発見という健診の意味が失われる結果となる。また、徳田医師は、異常がないにもかかわらず、異常と判定した場合の、X線による被曝の危険性や患者が要らざる不安感を抱くというマイナスを指摘するが、異常があるにもかかわらず、異常なしと判定された場合、患者にとって手遅れ等の重大な不利益をもたらす結果となることからすれば、前記のような患者の不利益を強調するのは正しくない。まして、本件では、前年との比較読影という方法もあったのである。

徳田医師は、森医師の意見について、これが妥当であることを概ね認めながら、本件レントゲン写真上の異常陰影につき、森医師が、中間肺動脈幹の濃度とその下流に位置する異常影とを比較して、異常影の濃度は血管影の重なりのみでは説明不可能であるとしている点につき、血管影の重なりが中間肺動脈幹の濃度より高くなる例を示して誤りであると批判するが、右の例は中間肺動脈幹の上流と下流との二点を比較するものにすぎないから、徳田医師の右批判は森意見を誤解したものといわざるをえないし、徳田医師が血管の重なりの例として示した図は現実には存在しないものである。

また、本件レントゲン写真上の異常陰影は、肺癌を示すサインの一つである境界不鮮明の浸潤影というべきであるが、徳田医師は、当審証言において、一旦はこれを否定し、その後これを認めながら、昭和六一年当時には境界が不鮮明な陰影を癌と疑うような知見は一般化していなかったと供述しているが、当時の文献等からしても、右供述は虚偽であることは明らかである。

(八) 被控訴人ら提出の書証の信用性について

乙第四〇号証は、西元慶治医師(以下「西元医師」という。)作成の意見書であるが、西元医師は被控訴人東京海上の子会社である東京海上メディカルサービス株式会社に所属し、被控訴人東京海上グループの一員たる医療法人鶴亀会新宿海上ビル診療所の理事長であって、被控訴人東京海上と密接な利害関係を有する者であるから、公正中立な立場で作成された意見書とはいい難い。

その内容をみても、①実験に使用した合計二八三枚のフィルムがどのようなものか明らかでなく、まゆみのレントゲン写真が混入されていたかどうかも確認できないこと、②読影に当たった一〇名の医師の所属機関が明らかでないこと、③呼吸器科の専門医一〇名中二名しか本件レントゲン写真の異常を指摘しなかったと報告されているが、乙第四一号証では、より経験も浅い一般内科医一〇名中二名又は四名が異常を指摘したとされており、乙第四〇号証の結果には疑問があること、④合計二八三枚のフィルム中に真の有病者のフィルムが何枚混入されていたか不明であり、その読影の結果としての有病正診率と無病正診率が明らかではなく、この実験そのものが、専門医として集団検診に携わった場合に当然期待されるべき医療水準に達しているかどうかを判定することができないこと、⑤前記(五)の各医師の意見に照らして、一〇名中二名しか異常を指摘できなかったというのは不可解であり、この報告の信憑性に疑問があることなどから、信用性が認められない。

乙第四一号証は、小川聡医師(以下「小川医師」という。)作成の意見書であるが、結語として、A群とB群の両法に混入された本件レントゲン写真の異常をチェックした医師でも、異なる解釈をしている医師もあり、B群に混入されたもののみを指摘した呼吸器専門医のうち二名は「肺血管の陰影であろうが、念のため再検査」との所見であることから、厳密にはB群のものについて腫瘤性病変を第一に疑っているのは三名にまで低下すると述べているが、レントゲン写真読影では正常と判定したか否かが重要なのであって、読影者が想定した病名にまで立ち入る意味はない。また、A群とB群という二つのフィルム群を読影させる実験を行っているが、これは一種のダブルチェックと見ることができるところ、二回のうちどちらかでも異常を指摘したのは一般内科医において一〇回中五回、呼吸器専門医では一〇回中七回であるから、これによれば、二人の呼吸器専門医が読影していれば、高い確率で異常を指摘することができたことを示すものといえよう。

(九) もう一人の読影医の過失について

本件レントゲン写真は、被控訴人小山ともう一人の医師によって二重読影されたものであるが、このもう一人の医師も呼吸器科が専門であり、かつ、肺癌の専門医であって、日本肺癌学会の評議員であったから、同医師についても、胸部レントゲン写真の読影に関しては最も高度の注意義務が課せられてしかるべきである。したがって、本件レントゲン写真の異常陰影を見落としたことは被控訴人小山同様に許されないというべきであり、被控訴人東京海上も使用者責任を免れない。

原判決はこの点についての判断を遺脱している。

2  被控訴人桐野の責任について

(一) 因果関係について

原判決は、被控訴人桐野につき過失を認めながら、この過失とまゆみの延命利益の喪失との間に相当因果関係があるとは認められないと判示するが、誤りである。

すなわち、まゆみは昭和六二年六月の時点で、肺癌の病期ステージⅢaであったが、原判決が、同月ないし翌月の時点でまゆみの肺癌がリンパ節に転移していなかったとは断定できないとする点は疑問である。まゆみは同年九月に東京女子医大病院で種々の検査を受けたが、いずれの検査でも癌の転移は認められていないからである。

そして、リンパ節転移がなければ、肺癌の病期ステージⅢaの患者であっても、手術が可能であれば五年生存率が三〇パーセントであり、手術を受けられない場合でも一年以上の生存が期待できたのである(林鑑定及び甲第六三号証)。

したがって、被控訴人桐野の過失がなければ、まゆみは少なくとも半年程度の延命は可能であったと認めるべきである。

(二) 被控訴人桐野の義務違反自体に基づく責任について

原判決は、この点についての控訴人らの主張を認めなかった。

しかし、患者は、資格のある医師に診療を依頼した以上、当該医師が通常の医療水準に即した診療を行うものと期待し、信頼しているのであり、このような期待は法的保護に値する。したがって、医師の側がこのような患者の信頼ないし期待に背き、重大な過失を犯したときは、そうした治療機会の喪失自体が患者に精神的苦痛をもたらす独立の損害であり、医師に対して慰謝料支払義務を負わせる根拠となると考える。あるいは、また、患者のこのような期待に反し、医師がその任務を懈怠した場合には、このような任務懈怠自体が患者に重大な精神的苦痛を与え、医師に慰謝料の支払義務を生じさせるとも考えられる。

そして、原判決も認めるように、被控訴人桐野の過失は、およそ医師であれば見落とすはずのないほどに明白なレントゲン写真上の異常を見つけられず、あるいはカルテの記載や本人からの問診結果にもかかわらず、肺癌を含む深刻な呼吸器疾患に思い至らず、レントゲン写真による確認を全くしなかったという重大なものであり、まゆみにとっては、このような被控訴人桐野の重大な過失によって、肺癌を見落とされたという事実自体が大きな精神的苦痛であったといえるから、こうした苦痛自体に対しての慰謝料が認められるべきである。

3  被控訴人林田の責任について

原判決は、林鑑定に基づき、昭和六二年七月二七日の時点で、被控訴人桐野の記載したカルテ及びまゆみの訴えから、直ちに肺癌を疑うことは困難であったといえ、その際、それまでのまゆみのレントゲン写真を取り出して見るか、又は新たにレントゲン写真を撮り直すべきであったとまでいうことはできないと判示して、被控訴人林田の過失を認めなかった。

しかしながら、林医師は、原審において、同日の時点で、全く普通の内科医が被控訴人桐野の記載したカルテだけを見た場合でも、糖尿病に伴う感染症があり、その治療をしたがあまり良くなっていないようであるから、抗菌剤を投与しようと考えるが、更にその症状から、本当に糖尿病に伴う感染症だけでよいのかなともう一歩踏み込んで、それまでのレントゲン写真を取り出して確認したり、新たにレントゲン写真を撮り直すなどするであろうと証言しているのであって、原判決の右認定判断は右証言をも無視するものである。

なお、右時点のまゆみの状態は、その僅か八日後の同年八月四日に日大病院を受診し、控訴人ら家族はまゆみが重篤な病気であると告げられた程であって、被控訴人林田に法的責任がないというのは社会常識としても不合理かつ不可解である。

4  被控訴人東京海上の責任について

(一) 原判決は、控訴人らの被控訴人東京海上についての安全配慮義務違反の主張について、一般の企業において、その従業員に対する定期健康診断の実施は、労働契約ないし雇用契約関係の付随義務である安全配慮義務の履行の一環として位置づけられるものであるとしても、信義則上、一般医療水準に照らし相当と認められる程度の健康診断を実施し、あるいはこれを行いうる医療機関に委嘱すれば足りるとして、本件においては、まゆみに対する安全配慮義務違反があったとは認められないと判示する。

(二) しかしながら、原判決の右後半の判示は、安全配慮義務についての最高裁判決の趣旨に反するもので誤りである。

すなわち、最高裁判決は、安全配慮義務の範囲と程度について、安全配慮義務は業務遂行のため支配管理する人的及び物的環境から生じうる危険の防止義務であり、また、元請企業と下請労働者との間に事実上の使用従属の労働関係が存在する場合に、雇用関係ないしこれに準ずる法律関係があり、特別な社会的接触の関係に入った場合、信義則上、安全配慮義務を負うとしているから、一般の企業において、定期健康診断を実施する場合、その実施する機関・担当者(医療従事者など)が、その企業の業務遂行のため支配管理する人的及び物的環境として位置づけられるものであって、定期健康診断の実施によって、企業の社員の生命・身体の安全が害される危険が生じうる可能性がある場合、その企業は、その危険を防止する義務があり、特にその企業と定期健康診断を実施する機関・担当者との間に事実上の使用従属の労働関係が存する場合で、雇用契約ないしこれに準ずる法律関係があり、特別な社会的接触の関係に入った場合、信義則上、安全配慮義務を負うと解するのが相当である。

そして、本件において、まゆみは、昭和六〇年及び昭和六一年に、被控訴人東京海上の本店診療所において診断を受け、昭和六二年に被控訴人海上ビル診療所で診断を受けたものであるが、本店診療所は、被控訴人東京海上の組織の一部として、その社員の生命・健康の安全・維持に務めており、本店診療所の医師・看護婦らは被控訴人東京海上から給与の支払を受けていたものであるから、被控訴人東京海上と定期健康診断を実施する本店診療所・その医療従事者との間には、事実上の使用従属の労働関係が存在するということができるし、被控訴人海上ビル診療所も実質的には被控訴人東京海上の組織の一部として位置づけられ、その医療従事者と被控訴人東京海上との間には、同様に事実上の使用従属の労働関係が存在するといえるから、被控訴人東京海上は信義則上、安全配慮義務を負うと解するのが相当である。

(三) 仮に、原判決の安全配慮義務に関する一般論が正しいとしても、本件において、直ちに被控訴人東京海上には安全配慮義務違反がないとはいえない。

すなわち、前述のとおり、昭和六一年の定期健康診断においては、被控訴人小山は、呼吸器の専門医として、レントゲン読影の際通常要求される注意義務を十分に果たすことなく、レントゲン写真の異常陰影を見落としたのであるし、昭和六二年の定期健康診断においては、被控訴人桐野が、レントゲン読影の際通常要求される注意義務を十分に果たすことなく、レントゲン写真の異常陰影を見落としたのであるし、さらに、被控訴人林田が、レントゲン写真の見直しをしなかったことも、定期健康診断に従事する医師として通常要求される注意義務を十分に果たすことがなかったのであるから、いずれも一般医療水準を下回る診断をしたことは明白である。

被控訴人東京海上は、各科の専門医をそろえ、相当な設備を用意して定期健康診断を実施する以上、当時の医療水準を十分遵守した診断が行われなければならず、もし当時の医療水準を下回る診断が行われていて、それによって医療事故が発生した場合、医師の過失が推定されるというべきである。

したがって、被控訴人東京海上には、まゆみに対する安全配慮義務違反があったというべきである。

二  当審における被控訴人らの主張

控訴人らの主張はいずれも争う。

1  被控訴人小山及び他の読影医の責任について

(一) 定期健康診断の位置づけ等について

定期健康診断は、健康な者を含む多数の者を対象として、異常の有無を確認するために行われるものであり、一定の疾患の発見を目的とする検診や、何らかの疾患があると推認される患者について具体的な病変の発見を目的とする精密検査とは目的が異なるから、それにかけうるコストも異なり、そこで要求される注意義務の水準もおのずから差異がある。控訴人らの主張は定期健康診断に過重な負担を負わせるもので甘受することができない。

また、定期健康診断と肺癌検診とは、レントゲン写真の読影自体としては同じ作業であっても、肺癌という特定の疾患のための検診と、特に限定のない定期健康診断では、比較読影や精密検査を要するか否かの判断は当然異なるものである。

(二) 定期健康診断担当医の医療水準について

定期健康診断におけるレントゲン写真の読影医の注意義務の水準としては、レントゲン写真読影専門医を基準とすべきであるとの控訴人らの主張は、一般の企業などにおける健康な者を含む多数の者に対して異常の有無を確認するために短時間で行う定期健康診断と、癌センター、癌研、大学病院などにおける癌の検診や、一定の疾患の発見を目的とする検診、何らかの疾患があると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査などとを混同する議論である。

レントゲン写真の読影については、読影医という公的資格や組織的な研鑽制度はなく、一般の内科医らが行っているケースが多いし、昭和六一年当時は、老人保健法に基づく肺癌検診も実施されておらず、小型の肺癌を早期に発見しようとする方法論もなかったのが実情である。

多数の受診者を対象とする定期健康診断においては、多数のレントゲン写真を流れ作業的に読影するのが通常であり、一枚の写真にかけうる時間にも制約があるし、撮影条件に問題があっても一般には撮り直しができない。レントゲン写真の読影は、臨床検査のように正常値が数値で示されているわけではなく、正常像とされるものにも様々なバリエーションがあり、異常像との境界を設定することは極めて困難である。しかも、読影医は問診もできず、年齢、病歴等の受診者に対する参考資料もない状態で、当該レントゲン写真の読影のみで正常か異常かを判断しなければならない。

定期健康診断において、治療を要するあらゆる病変を見落とさないようにしようとすることは、一見望ましく聞こえるが、その実際は多大の費用をかけながら、それに見合う効果は上がらず、かえって逆効果になるおそれがある。

定期健康診断は、日本全国の事業所、学校、地域で実施されているが、呼吸器専門医の数には限りがあり、右のような多数の定期健康診断すべてに関与する余裕はなく、現実に定期健康診断を支えているのは内科の一般臨床医である。したがって、一般臨床医を基準として注意義務を検討することは定期健康診断の実態に即するものとして極めて妥当なものと評価されるべきである。

また、控訴人らは、被控訴人小山やもう一人の読影医がレントゲン写真読影の専門家であるから、一般臨床医と異なる高度の注意義務を課すべきであると主張するが、これは、行為者の能力が通常人より高い場合に、通常人よりも重い注意義務を課すべきであるとし、不法行為において具体的過失を問題とするもので失当である。

(三) 昭和六〇年九月のレントゲン写真について

控訴人らの指摘する中川医師及び森医師の各意見も、極めて小さな陰影ないし高濃度域があるというものにすぎず、これが異常所見だと断定するものではなく、これらによっても、右レントゲン写真に異常陰影があったとはいえない。

(四) 昭和六一年九月のレントゲン写真(以下、この項において「本件レントゲン写真」という。)について

控訴人らは、森医師ほか各医師の意見を援用して、読影の専門家であれば、本件レントゲン写真について十分に異常の指摘が可能であったと主張する。しかしながら、森医師は各医師の意見については、いずれも、まゆみのレントゲン写真のみを見て判断したものであること、まゆみが肺癌により死亡したという転帰を認識した上で回顧的に見たものであること、胸部X線写真読影に関する昭和六一年当時の医療水準を考慮せず、現時点における論者の判断をそのまま述べているものであること、読影に当たる医師が異常所見を指摘すべきかという問題と、現実の読影において指摘しなかったことが法的な過失になるかという問題を意識的に区別して論じているとは思われないし、医療過誤における判断基準としての医療水準をどこまで弁えて論じているかも明らかでないこと(なお、森山医師の意見では、高度の専門家としてどのように読影すべきかが論じられており、一般臨床医には、むしろ、異常の発見が困難であることを認めていることに注目すべきである。)などを考慮して、その信用性を判断すべきである。

かえって、以下の事実からすれば、本件レントゲン写真について異常の指摘は極めて困難であったというべきである。

すなわち、まず、本件レントゲン写真において異常陰影があるとされている部位は、臓器の背景から、異常陰影の指摘が困難である上、陰影自体も小さく、濃いとはいえないし、輪郭も追えず、癌の特徴とされる所見も指摘できない。

また、まゆみは、昭和六一年一一月二九日左アキレス腱断裂により白髭橋病院に入院し、縫合手術を受けて昭和六二年一月一七日に退院しており、その間に胸部等のレントゲン撮影を受けているが、医師が胸部に異常所見を認めた形跡がなく、この時点でも、医師が異常を指摘するのは困難な状況にあったものというべきである。

さらに、本件レントゲン写真を含む二八三枚のレントゲン写真を呼吸器科専攻の医師一〇名に読影させたところ、要精検とした医師は一〇名中二名にすぎなかった(乙第四〇号証)し、本件レントゲン写真を含む三七五枚のレントゲン写真を読影させたところ、一般内科医において何らかの所見を指摘したのは一〇パーセント程度、呼吸器科専門医については三〇パーセント程度であった(乙第四一号証)。これらの実験は、できる限り定期健康診断に近い条件で読影させたものであり、本件レントゲン写真が一般内科医はもとより、呼吸器科専門医にとっても異常を指摘することは困難であったことを示すものである。

(五) もう一人の医師の過失について

控訴人らは、もう一人の医師の過失について主張するが、その医師も、定期健康診断におけるレントゲン写真の読影に当たる医師として、被控訴人小山と同じ立場にあったものであり、同程度の注意義務を負うものであるから、被控訴人小山に過失がない以上、同様に過失を認めることができないのは当然である。

2  被控訴人桐野の責任について

(一) 因果関係について

被控訴人らは、被控訴人桐野には過失はないと主張するものであるが、仮に原判決の認定するとおり被控訴人桐野に過失があったとしても、右過失とまゆみの延命利益の喪失との間に相当因果関係がないことは以下のとおりである。

すなわち、まゆみは、昭和六二年八月四日日大病院で受診し、胸水の所見が得られ、癌細胞が発見され、手術の適応は殆どないとされたが、一般にも、胸水に癌細胞がある場合は病期ステージⅢb以上であって、手術の適応はないとされている。さらに、まゆみは、東京女子医大に転医して、同年九月一七日の胸部レントゲン撮影や同月二五日の胸部CTでリンパ節拡大の所見が得られており、リンパ節転移を示唆する所見が存したといえる。

その他、まゆみの昭和六一年九月のレントゲン所見と昭和六二年六月の所見との差、入院後死亡までの転帰、年齢等からしても、同女の症状はこの間に急速に増悪したものであって、同女に対して最善の治療が行われていたとしても、現実に延命することは困難だったというほかはない。

さらに、原判決も、昭和六二年六月ないし七月時点で精密検査をすべきだというにすぎないものであるところ、仮に肺癌の確定診断がされたとしても、その後治療を開始できるまで一か月程度を要することも考慮せざるをえない。

(二) 被控訴人桐野の義務違反自体に基づく責任について

この点についての控訴人らの主張は、過失そのものが損害になるというものであり、患者が信頼ないし期待を裏切られて精神的苦痛を受けたというのは、患者の立場からみた不法行為ないし債務不履行を言葉を換えて述べたものにすぎない。患者が医師に診察を依頼する以上、適切な診療を期待するのは当然のことであって、期待を裏切られたから損害賠償責任を負うというのは、結局不適切な診療があれば、結果の有無に関わらず、損害賠償責任を負うというに帰し、損害が発生しないか又は因果関係が認められないにもかかわらず賠償を認めるものであって、左袒できない。

3  被控訴人林田の責任について

林医師の原審証言は、まゆみの症状について、糖尿病ないし感染症が第一に考えられることを前提として、昭和六二年七月一四日の処方でさしたる改善がみられないこともよくあることであるとしており、感染症だけでよいかもう一歩踏み込むのが望ましかったという趣旨にすぎず、レントゲン写真を見なかったことが落ち度にはならないと思うと明言している。したがって、控訴人らの林医師の原審証言の引用は恣意的であるといわざるをえない。

そして、まゆみの年齢、喫煙歴がないこと、一般状態等を考慮すれば、この時点で、被控訴人林田が改めてレントゲン写真の確認までしなかったことに過失はない。

控訴人らは、僅か八日後に日大病院で重篤な病気と告げられているのに、被控訴人林田が責任を免れるのは社会常識としても不合理、不可解であると主張するが、胸水が容易に発見できるような状況にあれば、明らかに所見が異なるから、単なる時間差のみでは論じることはできない。

4  被控訴人東京海上の責任について

控訴人らの主張は明らかではない面があるが、善解すれば、被控訴人東京海上は、被控訴人海上ビル診療所と一体ないし元請・下請のような関係にあるから、被控訴人海上ビル診療所の行う健康診断について、直接的な責任を負い、原判決のように委嘱すれば足りるとはいえないというものと思われる。

しかしながら、医療行為は高度の専門的知識と裁量を要するものであって、その可否を容易に判断できるものではない。そのため、法は、医師の資格を定め、その取得に高度の要件を付して医療行為を行いうる者を限定しており、反面において、医師でない者は、医療行為については、当該医師に委ねることが明らかに不相当であるという事情がない限り、医師に委ねれば足りるのであって、企業が医師に対し具体的な医療行為について指揮監督をしうるものではないし、また、その義務もないのである。

そして、本件において、昭和六〇年、六一年の健康診断については、一般医療水準を下回る診断が行われたわけではないし、昭和六二年についても、前記のとおり、医師らの判断にもやむをえない面があり、明白に医療水準を下回っていたとはいえないし、まして、被控訴人東京海上においてこれを知り又は知りえたという事情はない。

したがって、被控訴人東京海上に責任はないことは明らかである。

第三  証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  当裁判所の判断

一 当裁判所も、当審における証拠調べの結果を考慮しても、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がなく棄却すべきものと判断するが、その理由は、以下のとおり付加訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一七丁裏六行目末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。

「なお、控訴人らは、右レントゲン写真には要精査とすべき正常ではない陰影の存在が指摘されているとして、甲第五七号証、第五九号証を挙げるが、甲第五九号証(森医師の意見書)では、右レントゲン写真には、胸部にわずかに濃度が高い部分があるように見えると指摘するものの、これが異常影ではない可能性を否定できず、集団検診として読影した場合には、異常影を発見できないとされており、甲第五七号証(中川医師の鑑定書)でも、右レントゲン写真では、右下肺野血管影の内側に極めて小さな陰影を認めるが、血管影との鑑別は困難であり、前年のレントゲン写真と比較すると、その陰影が気になるが、集団検診における間接撮影フィルムにおいては極めて困難な所見と思われるとされており(なお、この程度でも精査に持ち込むことが集団検診業務の役目と思うとの意見が付されている。)、いずれも異常陰影の存在を明確に認めているものではない上、これを異常陰影であるとしても、その指摘は困難であるとするものであって、前記認定を左右するに足りないというべきであるから、控訴人らの右主張は採用できない。」

2  同七行目の「検乙第一号証の五」から同一八丁裏六行目末尾までを、次のとおり改める。

「(一) 検乙第一号証の五及び原審における鑑定の結果によれば、昭和六一年九月のレントゲン写真(以下、この項においては「本件レントゲン写真」という。)には、その胸部につき右下肺野内側寄り第九後肋骨に重なるところに、境界不鮮明なやや高濃度の異常陰影が存在することが認められる。

そこで、右異常陰影の発見が可能であったかどうかについて検討する。

(二) 原審における林鑑定及び林医師の証言によると、右異常陰影の存在する部位は、①下降肺動脈枝が走行すること、②肋骨末端部が肋軟骨に連なる部分で、化骨が見られやすい部分であること、③下行気管支が走行する部分であること、④肺動脈が下大動脈に入る部分であること、⑤第九肋骨の起始部が存在すること、⑥中葉症侯群(中肺葉の慢性あるいは亜急性の感染症)を来しやすい部分がこれに重なる部分であることなど、臓器の背景から、この部位の正常以外のものの陰影が指摘しにくい部位であるといえることや、集団検診において数百枚のフィルムを読影するなどの読影条件などを考慮すると、本件レントゲン写真については、間接フィルム読影に熟練したものでも「異常なし」とする可能性があり、本件レントゲン写真が、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関する何らの予備知識なく読影された場合、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いことが認められる。

これに対し、森医師は、甲第七三号証の意見書及び当審証言において、林鑑定が、臓器の背景を理由として、異常陰影の存在する部位がこの部位の正常以外のものの陰影が指摘しにくい部位であるとしていることについて、下肺野で動脈影と静脈影が重なったとしても、中間肺動脈幹以上の濃度を示すとは考え難く、前項の①、④の血管影の重なりのみでは異常陰影の濃度を説明することは不可能であることなどから、正常の構造のみで異常陰影の濃度変化を説明することは困難であるとして、林鑑定の指摘する理由によっては異常陰影の指摘が困難であるとは考え難いと述べている。

しかしながら、これに対しては、徳田医師が、当審証言及び乙第六〇号証の意見書において、実例を示した上で、血管の重なり方によっては、下肺野で中間肺動脈幹以上の濃度を示すこともありうるのであるから、血管影の重なりのみでは異常陰影の濃度を説明することは不可能であるとはいえないと述べている上、森医師自身も、甲第五九号証の意見書においては、読影医によっては、異常陰影を血管影の重なりによる濃度上昇域として読影してしまう可能性を否定できないと述べているのであって、森医師の林鑑定に対する前記批判は採用し難い。

なお、控訴人らは、このほか林鑑定に問題点があるとしてるる指摘するが、林鑑定を正解しないものか、前提を異にするものといわざるをえず、採用できない。

(三) また、徳田医師の当審証言及び乙第六〇号証の意見書においても、右異常陰影の存在する部位は血管が錯綜し、前後の肋骨陰影が重なり、異常が指摘しにくい部位であること、右異常陰影(第九肋骨直上の1.2×0.6センチ位の部分)は大きいともいえず、濃い陰影でもなく、輪郭もはっきり追えず、癌の特徴とされるスピキュレイションやノッチなども指摘できないこと、乙第四〇、四一号証の実験結果などから、昭和六一年当時の一般臨床医の医療水準を前提とすれば、本件レントゲン写真が、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関する何らの予備知識なく読影された場合、右異常陰影を指摘することは困難であるとされている。

なお、控訴人らは、徳田医師が、右異常陰影が肺癌のサインの一つである境界不鮮明の浸潤影であることを否定し、後にこれを認めながら、昭和六〇年当時には境界が不鮮明な陰影を癌と疑うような知見は一般化していなかったとの虚偽の供述をしていると主張する。しかしながら、徳田医師の当審証言を見ると、右異常陰影が輪郭がはっきり追えない陰影であるというのは、肺癌のサインの一つである境界不鮮明の場合(全周性にその輪郭を追うことができてその輪郭がぼけている場合)とは全く異なる(ある場合がぼんやりと濃度が高い場合)という趣旨であると供述した上で、森医師の本件レントゲン写真の白い陰影についての「濃度は高いが陰影の辺縁が見えない。」との証言に関しては全く同意見であると供述し、さらに、「腺癌の場合にはそのようなことが多いから、写真を、淡い影とか、限局性に何か白っぽいところがないかどうかという目で見ている。」との証言についても全く同意見であるとしつつ、一〇年前にはそのような認識は一般的ではなく、当時は、血管と血管の重なりのように見える白っぽい陰影は要精検とする必要はない、輪郭がはっきりしない影は拾う必要はないと指導されたと供述している。したがって、徳田医師は、本件レントゲン写真の右陰影は、輪郭がはっきり追えない陰影であって、一〇年前にはこれを肺癌のサインの一つであるとする知見は一般化していなかったとするものであり、何ら齟齬はない。また、控訴人らの指摘する文献等を精査しても、右供述が虚偽であるとはいい難い。そのほか控訴人らが徳田医師の右意見についてるる指摘する点もいずれも採用し難い。

次に、乙第四〇号証(西元医師作成の意見書)によれば、西元医師が、まゆみの昭和六〇年九月のレントゲン写真及び本件レントゲン写真を含めた合計二八三枚のフィルムを、呼吸器科専攻の医師一〇名に、読影の目的、被検者の性別・年齢・職業などの情報、特定の疾患が含まれている可能性の有無等について一切知らせないまま読影させる実験を行ったところ、要精密検査とされたのは平均して3.6パーセント(0.4パーセントから8.5パーセント)であり、妥当な要精密検査率とされている二ないし三パーセントよりもやや高めであったが、本件レントゲン写真を要精密検査としたのは一〇名中二名にすぎなかったことから、結論として、本件レントゲン写真を所見ありと当然判断すべきものとはいえないとされている。なお、控訴人らは、右実験結果は信用できないとしてるる主張するが、いずれも採用できない。

また、乙第四一号証(小川医師作成の意見書)によれば、小川医師が、まゆみの昭和六〇年九月のレントゲン写真及び本件レントゲン写真を各一枚ずつ混入したA群一八八枚、B群一八七枚のフィルムを、一般内科医一〇名、呼吸器科専門医一〇名に、やはり何らの情報も与えないで読影させる実験を行ったところ、本件レントゲン写真のうちA群の一枚については、一般内科医一〇名中二名が、呼吸器科専門医一〇名中四名が何らかの所見を指摘し、B群の一枚については、一般内科医中四名が、呼吸器科専門医中六名が指摘したこと、なお、そのA群・B群の両方に所見を指摘したのは一般内科医一名、呼吸器科専門医三名であったこと、ただし、各医師の指摘率が高めである点からすると、この実験が一般の定期健康診断と同条件で全く予見がなかったとは言い切れないこと、結論として、本件レントゲン写真については、一般の臨床医において、必ず指摘すべき所見を呈しているとはいえず、日常の定期検診レベルで所見なしと判定することは見逃しとして扱うべきではないとされている。

以上の事実も、前記(二)の認定判断の裏付けとなるものといえる。

(四) 以上に対し、控訴人らは、定期健康診断におけるレントゲン写真の読影医の注意義務の水準としては、一般的な臨床医ではなく、レントゲン写真読影専門医を基準とすべきであり、そうでないとしても、被控訴人小山はレントゲン写真読影専門医であったから、少なくとも本件ではレントゲン写真読影専門医を基準とすべきであるところ、これを基準とすれば、本件レントゲン写真について、異常陰影の存在を指摘することは十分可能であったもので、このことは森医師ほか各医師の意見からも明らかであると主張する。

しかしながら、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であって、定期健康診断におけるレントゲン読影医の注意義務の水準としては、これを行う一般臨床医の医療水準をもって判断せざるをえないというべきであり、このことは、被控訴人小山がレントゲン写真の読影につき豊富な経験を有していたとしても異ならない(なお、控訴人らは、被控訴人東京海上がレントゲン写真読影専門医を擁していることを社員に積極的に宣伝していたことからしても、一般臨床医を基準とすべきではないと主張するが、被控訴人東京海上が右のように積極的に宣伝をしていたことを認めるに足りる証拠はない。)。

そして、控訴人らの挙げる各医師が、以下に述べるとおり、控訴人らの指摘するような意見を述べていることは認められるものの、読影当時の専門医を基準とした判断であるものが多い上、いずれもまゆみのレントゲン写真だけを対象として読影しており、さらにまゆみの病歴を知った上で回顧的に読影したり、まゆみの各年のレントゲン写真を比較して読影したものであって、昭和六一年当時に定期健康診断において被検者についての何らの情報もなく大量のレントゲン写真を短時間に読影する場合とはおのずから読影条件が異なることをも考慮すると、結局、これらの意見をもっては前記(二)の認定を左右するものとはいえない(ちなみに、徳田医師は、当審において、前記(三)のとおりの意見を述べた上、現時点で自ら読影する場合には、一〇回に三回位しか異常を見落とさないであろうと述べている。)。

まず、森医師は、当審証言及びその作成の意見書(甲第七三号証)において、異常影の位置、大きさから、異常陰影であることは明らかであり、一人で読影した場合一割か二割、経験の浅い医師で二割位の見落としはあるかもしれないが、二人の医師で読影した場合にはかなり見落としの確率は少なくなるだろうとの意見を述べている。しかしながら、森医師の当初の意見(甲第五九号証)では、読影医によっては、異常陰影を血管影の重なりによる濃度上昇域として読影してしまう可能性を否定できないと述べているのであって、最初に本件レントゲン写真を読影した際の見解である当初の意見の方が相当であると解される。

中川医師作成の意見書(甲第五七号証)には、専門の医師であれば見落とすはずのない明らかな異常所見である旨が述べられ、また、中島医師作成の意見書(甲第六二号証)でも、胸部X線診断に携わっている医師であれば高い確率で病変を指摘することが可能である旨が述べられ、いずれも専門医を基準とした意見であると解される。

横山医師作成の「石井まゆみ殿胸部レ線写真読影」と題する書面(甲第八八号証の一、二)には、本件レントゲン写真につき「この一枚のみで要注意、精査、前年と比較すれば進行あり」との意見が述べられているが、この書面は、横山医師が、まゆみの昭和五七年から昭和六二年までの各年のレントゲン写真を対象として、いつから異常陰影が生じているかを検討したものであり、「本件レントゲン写真一枚だけを急いで眺めたときは判定を誤ることもありうると思う」旨が付記されている。また、同医師の「鑑定に対する反論」と題する書面(甲第八七号証)には、本件レントゲン写真について「このフィルムの異常を指摘できなければ専門医とはいえない。」との意見が述べられており、やはり、専門医を基準とした意見である。

森山医師と控訴人らとの会話についての録音反訳書(甲第九〇号証)には、本件レントゲン写真の異常の見落としの可能性について、森山医師が「一〇回のうち一回落ちないかもしれない。」旨の発言をしたことが記載されているところ、甲第一三六、一三七号証によれば、森山医師は、事前にまゆみの昭和六二年のレントゲン写真及び本件レントゲン写真の送付を受け、面談の際にもまゆみの昭和五九年から昭和六二年までの各年のレントゲン写真を示された上で意見を求められたものであると認められるし、森山医師の陳述録取書(乙第六一号証)によれば、前記の発言は専門医である自分が読影した場合を述べたものであり、昭和六一年当時に本件レントゲン写真について、専門医が異常影を指摘できなかったとしても非難できないと思うと述べているのであって、専門医を基準とした意見である上、むしろ前記(二)の認定に沿う旨の意見であるといえる。

平野医師作成の意見書(甲第九一号証)には、明らかに異常な腫瘤影であり、肺癌を疑って直接撮影、CTスキャンなどの精密検査を行うべきであって、このことは一般の内科医であっても十分に可能な判断であるとの意見が述べられているが、前記の諸点に加え、以上の各医師の意見とも異なることを考慮すると、やはり、前記(二)の認定を左右するに足りないというべきである。

(五) そして、定期健康診断は、一定の病気の発見を目的とする検診や何らかの疾患があると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査とは異なり、企業等に所属する多数の者を対象にして異常の有無を確認するために実施されるものであり、したがって、そこにおいて撮影された大量のレントゲン写真を短時間に読影するものであることを考慮すれば、その中から異常の有無を識別するために医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界があるというべきである。

したがって、被控訴人小山が本件レントゲン写真につき「異常なし」と診断したことに、過失を認めることはできない。

(六) なお、控訴人らは、本件レントゲン写真につき、被控訴人小山とともに二重読影したもう一人の医師の過失を問題にするが、仮にこのもう一人の医師の過失を問題にすべきであるとしても、以上説示したところは、もう一人の医師の過失の判断に当たってもそのまま妥当するというべきであって、結局、もう一人の医師についても過失を認めることはできないといえる。」

3  同二四丁表七行目末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。

「なお、控訴人らは、林医師は、原審において、同日の時点で、全く普通の内科医が被控訴人桐野記載のカルテだけを見た場合でも、糖尿病に伴う感染症だけでよいのかと、それまでのレントゲン写真を取り出して確認したり、新たにレントゲン写真を撮り直すなどするであろうと証言していると指摘するが、林医師の原審証言によれば、なるほど右の趣旨の証言をしているものの、これに続いて、当該内科医がレントゲン写真を見なかったことが落ち度にはならないと思う、右感染症の継続治療をすることもありうるであろうと証言しているのであって、以上を総合すれば、林医師の原審証言も前記認定判断と齟齬するものではない。

また、控訴人らは、右時点のまゆみの状態は、その僅か八日後の同年八月四日に日大病院を受診し、控訴人ら家族はまゆみが重篤な病気であると告げられた程であって、被控訴人林田に法的責任がないというのは社会常識としても不合理かつ不可解であると主張するが、それだけでは、前記認定判断を左右するものとはいえない。」

4  同裏五行目の「断定できず」の次に、「(控訴人らは、東京女子医大病院での同年九月にされた種々の検査で癌の転移が認められなかったことからすると、同年六月ないし七月の時点でまゆみの肺癌はリンパ節に転移していなかったものと認められると主張するが、林医師の原審証言によれば、日大において胸水から癌細胞が発見されたが、これは胸膜に癌が転移したことを示すものであることが認められる上、乙第一五号証によれば、東京女子医大病院における検査結果においても、同年九月一七日の胸部X線所見では右側肺門にリンパ節拡大が見られ、同月二五日の胸部CT検査では気管周囲と気管分岐下部にリンパ節の拡大や、少量の右側胸膜浸出が見られるなど、癌の転移を示唆する所見が認められるから、控訴人らの右主張は採用できない。)」を加え、同五行目の「林証言によれば、」の次に、「同年八月四日にまゆみが日大病院に転医した時点においては、胸膜に癌の転移が認められ、既に手術不能の状態であったもので、」を加える。

5  同二五丁表四行目冒頭から同裏二行目末尾までを、次のとおり改める。

「控訴人らは、患者は、資格のある医師に診療を依頼した以上、当該医師が通常の医療水準に即した診療を行うものと期待し、信頼しているのであり、このような期待は法的保護に値するから、医師の側がこのような患者の信頼ないし期待に背き、重大な過失を犯したときは、そうした治療機会の喪失自体が患者に精神的苦痛をもたらす独立の損害であり、医師に対して慰謝料支払義務を負わせる根拠となると考えられ、あるいは、また、患者のこのような期待に反し、医師がその任務を懈怠した場合には、このような任務懈怠自体が患者に重大な精神的苦痛を与え、医師に慰謝料の支払義務を生じさせるとも考えられると主張する。

しかしながら、右のような考え方は、医師の過失と患者に生じた結果との間に因果関係が認められず、したがって、当該過失によって損害が発生したとはいえない場合にまで、損害賠償責任を肯定しようとするものにほかならないから、このような考え方は採用できないといわざるをえない。」

6  同二六丁表三行目末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。

「なお、控訴人らは、要するに、被控訴人東京海上と本店診療所及び被控訴人海上ビル診療所とは、一体あるいは元請・下請のような関係にあるのであるから、被控訴人東京海上は、安全配慮義務の履行の一環として、一般医療水準に照らし相当と認められる程度の健康診断を実施し、あるいはこれを行いうる医療機関に委嘱すれば足りるというものではなく、本店診療所及び被控訴人海上ビル診療所の行った定期健康診断について、いわば直接に責任を負うと主張するもののようである。しかしながら、このような考え方は、被控訴人東京海上に対し、定期健康診断を実施する医師ないし医療機関の具体的な個々の医療行為につき指揮監督すべき義務を負わせることに帰着し、採用できないことが明らかである。」

7  同八行月末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。

「なお、控訴人らは、昭和六一年の定期健康診断においては、被控訴人小山がレントゲン写真の異常陰影を見落とし、昭和六二年の定期健康診断においては、被控訴人桐野がレントゲン写真の異常陰影を見落とし、また被控訴人林田がレントゲン写真の見直しをしなかったもので、いずれも一般医療水準を下回る診断がされたことは明白であると主張するが、被控訴人小山及び被控訴人林田につき過失が認められないことは既に説示したとおりであるし、被控訴人桐野に過失が認められることは前記のとおりであるとしても、このことから直ちに、昭和六二年の定期健康診断について一般医療水準を下回る場合に当たるとはいえないものであって、控訴人らの右主張も採用できない。」

二  よって、本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官筏津順子 裁判官山田知司)

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